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2008/02/07 日記<ビモータ>
ビモータ
ビモータ(Bimota S.p.a.)は、イタリアのオートバイ製造会社であり、bimotaは同社のオートバイ製品のブランドである。概要
空調設備会社からオートバイ製造会社へ
ヴァレリオ・ビアンキ(Valerio Bianchi)、ジュゼッペ・モーリ(Giuseppe Morri)、マッシモ・タンブリーニ(Massimo Tamburini)の三人よって、当初は空調設備の会社として1966年にリミニにて設立される。会社名の由来は、三人の名前(姓)の綴りから最初の2文字ずつを組み合わせたもの(BI-MO-TA)である。元々は空調設備の会社だったが、創立者の一人であり根っからのオートバイマニアであったタンブリーニの趣味がきっかけで、会社としてもオートバイと関わるようになる。タンブリーニは1972年に趣味のオートバイレースで大破した自らの車両(ホンダ・ドリームCB750FOUR|CB750)を、空調設備の仕事でもなじんでいたパイプ加工の技術を活かしてフレームから作り直した。これが後のビモータ・HB|HB1の原型であり、ビモータとしての第1号車でもあった。この車両が評判になり、本業とは別にフレーム・ビルダーとしての業務を、1973年にビモータ・メカニカとして開始する。最初期の業務は、主に日本車向けのスペシャルパーツの製造販売や、レース用フレームの製作供給から始まった。ビモータのフレームを採用したレースチームが選手権獲得をした頃からその名を広め、本格的に市販車を発売する頃には空調設備の業務をやめて完全にオートバイ製造会社へ転向した。製造販売する車種の特徴
主に他社製のレシプロエンジン|エンジンを、自社製のフレームに搭載するという方法で製作した車種を発売する。更には、それらの車両を使用してモータースポーツ|レースにも参加していた事もある。初期のビモータの車種は、オートバイ(エンジン)メーカーから完成車を購入して、エンジンだけを取り外して使用していたので非常に高価だった。これは、当時のビモータ社の生産ラインがほとんど手作業に近いレベルであり、年間生産台数も2桁や3桁前半程度に過ぎず、当初はエンジン単体で供給してくれるオートバイメーカーがなかったためである。また、軽量ではあるが製作に手間がかかるフレーム形式 (オートバイ)|フレーム形式や、強化プラスチック|FRP製カウル等の高級部品を採用していたのも高価になる理由だった。しかし、当時そのような仕様のオートバイを市販してくれる他のメーカーは少なく、一部の熱狂的なファンに支持された。(一例をあげると、1983年に発売された川崎重工業|カワサキGPz400Fの価格は52万5千円であったが、このGPz400Fのエンジンのみをビモータ製フレームに搭載したKB2-TTの価格は340万円であった)その後、他のオートバイメーカーからエンジン単体での購入が可能になり、車両そのものの高評価も手伝って生産数も増えていく。とはいえ、依然少量生産であり(後年最大のヒットとされるビモータ・SB|SB6でさえ派生のSB6Rを含めても2000台に届かない)、凝った車体のつくりもあって、ビモータの製作販売するオートバイは他に比べて高価であり続けた。また、モーターサイクル史上に残る唯一のセンターハブ・ステアリングを搭載する市販車テージ・シリーズも同社の製品である。ちなみに、初代テージ(1990-1994年)の当時の日本国内販売価格は、テージ1D851(水冷デスモ851cc)で448万円、テージ1DSR(水冷デスモ904cc)で498万円、日本向けの排気量縮小版テージ1DJ(空冷399cc)でも386万円であった。経営危機と倒産
ビモータは